2013/12/13 Category : NBM ハッシャ・バイ・ベイビィ 嵐の夜は子守で大変だ。窓を割らんばかりの勢いでたたきつけられる雨音を聞きながら、ベッドの上の白い塊を撫でる。シーツを頭からかぶりまん丸くなって震える子供は、雷が鳴るたびに小さく悲鳴を上げた。部屋の照明は既に消えている。もう、深夜と言っても良い時間帯だ。普段なら寝付いているはずの子供は、しかし、一晩中荒れ狂うであろう嵐に眠気を吹き飛ばされてしまったようだった。 宥めるように、背中だろう部分を撫でる。照明は消え、窓はカーテンで閉め切られ、光はほとんど入ってこない。しばしば訪れる強烈な雷光がカーテンを透かして入り込むぐらいで、あとは暗闇だ。だがさすがに長時間過ごしていれば目も慣れてくる。ベッドの端に腰掛けながらムノは、シーツに隠れきれなかった長い髪の毛を認めた。もとより視力の良いムノには暗闇の中でも色の判別がおおよそながら出来る。普段ならば丁寧に梳かれたプラチナブロンドは、少女の動揺が反映されたようにぐしゃぐしゃだ。「ムノォ」 涙混じりの声が微かに聞こえた。はい、とあえていつも通りに答えれば、ムノの主人たる少女はもう一度、ムノ、と呼んだ。「やだよぉ、あめ、やませてえ」「それはさすがに、俺にも無理ですねえ」「かみなりも、こわい」「そうですね、でも大丈夫ですよ、エルシー」 屋内にいる限り、雷が落ちてもよほどのことがなければ怪我はないし、強烈な嵐といえどもこの館の窓や壁を破ることはないだろう。瀟洒な造りの屋敷は、見た目以上に頑丈であることをムノは知っている。それを論理立てて少女に伝えようとは思わなかったが、何かしら安心させるような言葉をかけなければ、きっと少女は泣き止まない。子守は得意ではないのだが、とムノはひっそりと苦笑した。そもそも彼はベビー・シッターや執事ではない。本来の職務も科せられているとはいえ、ここ数年は幼い主の世話役ばかりが、まるでムノの役目のようだった。この泣き虫な主の元へ共にやってきた、ムノの相棒の方がむしろ似合っているだろうに、彼女は常ににっこり笑って世話役をムノに押しつける。きっと今頃私室で日記でも書いているのだろう。あるいは一人楽しく酒の一杯でもやっているのかもしれない。 明日の朝は相棒に嫌みの一言ぐらい言ってやろうと決心しつつ、ムノはぐしゃぐしゃの髪の毛を手櫛で整えた。「明日には止んでますよ、この嵐。そうしたら良い天気でしょうから、外でお茶でも飲みましょう」「はれる?」「晴れます」「ほんと?」「本当です」 そっとシーツをめくると、暗い中でもはっきりと分かる空色の瞳が、涙を溢れさせながらムノを見ていた。まだ幼い白い頬は涙で濡れ、泣きすぎたのだろう目元と鼻が赤かった。「ですから、今日はもう寝ましょう。怖いのなら、俺が一緒にいますよ」「ほんと?」「本当です」 何の前触れもなく光った雷に、少女はきゃっと短く叫んで体を硬くしたが、目の前のムノがまったく動じていなかったことにいくらかの安堵を抱いたらしい。おそるおそるといった体で顔をシーツから出した。 あとはいつも通りだ。軽い主の体を持ち上げ、広いベッドの足下から枕元に移し、ブランケットを優しくかける。いつもと違うのは、その枕元にムノが座ることだ。少女のまろい手がムノの袖を強く握りしめる。泣き止んではいるが、まだ泣いていた余韻が残っているのか、少女の目は潤んでいた。 空いた手で少女の頭を撫でる。「ほら、ずっとここにいますよ、俺は」「うん」「さあ目を閉じて。外は少しうるさいですけど、大丈夫、起きた頃には止んでいます」 素直に目を閉じた少女は、やはりムノの袖を握りしめたままだった。せっかく仕立て直した衣服だが、ともう一度、一人苦笑する。ついでに自室に戻って日記を書くことも酒を飲むことも出来ないが、たかだか一晩座っているだけなのだから、今までの仕事に比べればずいぶんと楽な話だ。数年前、この屋敷に来る前にはあるとも思えなかった安穏とした日々を送っている。はたして己はいざというとき、本来の職務を果たすことが出来るのかという危惧を抱くほど、この屋敷と敷地内は平和だ。暴力に慣れたムノや相棒のような存在が異質なほど、そしてその異質な者を受け入れてしまうほどに。その平和が油断を生み出すのだと思うと、ムノは何よりも悲しい。 スーツの内側では、人を殺すための道具が、ムノの手の中で振るわれる時を待っている。「おやすみ、ムノ」 緊張が緩み、眠気が訪れたのだろう、少女が舌っ足らずに呟いた。手触りの良いプラチナブロンドを撫で、ドア越しの廊下に、あるいはカーテンの裏の窓に、少女の命を狙う者の音が聞こえないか確かめる。今まで何度も繰り返した動作を、今日もまた繰り返す。 そうしてやっと、少女が眠りに落ちる寸前に、ムノも呟いた。「おやすみなさい、エルシー」・エルシー……箱庭の主・ムノ……箱庭の主の従者その1・相棒……箱庭の主の従者その2 PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword