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bernadette

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夏の日は曖昧

 こんなにも暑い夏の日は、あちらとこちらの境界線が曖昧になる。道路に立った陽炎のように景色が揺らめき、コントラストの激しい青空と極彩色の雲が混ざり、道行く人々の中にうっすら透けた誰かや、血塗れの誰かや、人の形をなしていない何かが歩いているのさえ見える。いつもそうだった。那岐の目は、生まれた時から、他の誰にも見えない世界さえも映していた。
 煙のようにまとわりつく、赤い糸が左の手首を引く。那岐が立ち止まれば促すように、道を間違えれば少し強く、その先で誰かが糸の端を引いている。
 目が眩む。
 すれ違った少女のセーラー服は那岐の通う学校の制服だったが、はたしてそれを着ているのが本当に人間なのか、それすら怪しい。一つに括られた黒髪が揺れ、汗でも香水でもない、不可思議だがどこか懐かしいような、甘い香りがした。振り返ってもすでにセーラー服の少女の姿はなく、やはりあれは幻であったのかとぼんやりと思う。
 目が眩む。
 一際強く手首を引かれ、足を踏み出した先では車が右から左から、絶え間なく走って消えていく。その合間に見える、横断歩道の向こう側で、糸を握った女が笑っている。こんなにも暑い日だというのに白いコートとロングブーツで、まるで女ばかりが冬に生きているかのようだ。はぜた頭からとめどなく溢れた血液がコートを徐々に赤く染め、どろりと溶けだした灰色の脳がこぼれてアスファルトに無惨に落ちる。それでも女は笑っている。動かした口が何かを言っている。声は聞こえない。何も聞こえない。こんなにも世界を明確に見えている那岐の耳が、上手く働いていない。
 手首に巻き付いた赤い糸は、もはや糸ではない。那岐の体をそこから蝕んでいく、赤い呪いだ。
 目が眩む。
 踏み出した足を、傾いだ体を、強い力が後ろへと引っ張った。青い空に白い入道雲が眩しいと、場違いに思った那岐の体を誰かが支えていた。

「那岐」

 目が眩む。頭痛がする。喉がからからだった。両肩に置かれた手には力がこもり、痛い、と思った。頭痛と、両肩と、痛む体が現実に引き戻す。頭上に輝く太陽が、今は夏だと告げている。
 こんなにも暑い夏の日は、あちらとこちらの境界線が曖昧になる。

「危ないよ、那岐くん」

 少し低いが艶のある声が左側から聞こえた。黒髪を一つに括ったセーラー服の誰かが那岐の左手を掴んでいる。大した力はこもっていない。ただ、あまりに冷たい手がまるで死人のようで、かすかに香る甘い香りは、いつかどこかで嗅いだ、この世ならざるどこかに漂っていた、死の香りによく似ていた。

「気をつけてね」

 そういったセーラー服の誰かはするりと那岐の左手首を撫で、赤い糸を引きちぎって向こう側へと歩いていく。その背を追いかけようとは思えなかった。ずっと那岐の両肩を掴み、体を支えていた少年は、それ以上に、追いかけることを許さないだろう。
 少しばかり目つきの鋭い、少女めいた顔に一筋、汗が伝っていた。透けるような薄さの生地で出来たブラウスにキュロットスカートを履いた少年が、那岐と目を合わせて大きくため息をつく。

「気をつけろよ。死ぬつもりか」
「……?」
「こんな暑い日に、変な格好した女についていくほどバカじゃないだろ、おまえ」

 横断歩道を渡りきったセーラー服の誰かがこちらを振り向いた。背の高いその人はにこりと笑い、手を小さく振る。もう片方の手には赤い糸が絡みついていたが、それ以上に、その足下に転がった肉塊らしき何かが、あまりに奇妙だった。
 那岐と少年を置いて、人々が横断歩道を渡っていく。止まっていた時間が動き出す。もう一度見た道路の向かい側に、セーラー服の誰かも、肉塊も、何もない。

「……世御坂」
「なに」
「僕は」
「夢だよ」

 断じるように強い口調で世御坂は言う。暑い夏、こちらとあちらの境界が溶けた日の、悪い夢だったのだと、少女めいた彼はつぶやいた。
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