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bernadette

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生落ファフロツキーズ

もしも今、誰かに、一週間前に戻りたいかと言われたら、僕は悩む間もなく頷くだろう。そして声を大にして叫ぶだろう。一週間前に戻してくれ。そうしたら僕は、僕自身を殴ってでも止めるから。とんでもないものに手を出そうとしている大馬鹿野郎を、気絶するまで殴ってでも止めさせるから。
 そうはいっても、僕にそんなことを言ってくるやつはいないし、いたところで誰も一週間前まで時間を巻き戻してはくれないだろう。大きくため息をつく。幸い、僕の数歩前を歩く白い背中は変わらぬスピードで坂道を先行する。こちらを振り向きもしない、細い背中と燃えるような赤毛は何も語ってくれない。それもそうだ。僕らは別に、親しく話し合うような間柄でもない。ましてや、一週間前に戻りたいかだなんて、軽口にもならない問いかけをしてくれるような間柄など。
 僕と、僕の前を行くその少年の間柄を言葉にするならば、同僚、だろうか。あるいは、共犯者だろうか。同じ学校の同じ学年の、時々廊下ですれ違う他人と言うには少し、後ろめたい。僕らの足元には秘密が転がっている。

「ゼロ」

 不意に少年の掠れた声が聞こえて、一拍遅れて僕は、ああ、と答えた。ゼロ。この同僚であり共犯者であり同じ学校の同じ学年の他人は、僕をそう呼ぶ。

「着いたぞ」

 汗でじっとり濡れた背中が振り向いて、真っ黒な目が僕を射抜く。鮮烈な赤毛も汗で濡れているのか、真夏の日差しを浴びて艶やかに揺れた。
 振り向いた彼の背後には、古びたコンクリートの建物が立ちはだかって僕らを睨み付けていた。

「……着いちゃったか」

 ぽつりと呟けば、彼はなんとも言えない表情で、左手首に巻いた腕時計へ視線を落とした。僕も一緒になって、盤面の白い腕時計を覗き込む。午前11時41分。目的の時間まであと19分。

「あのさあ、黒崎」

 二人並んで、来る者をひたすらに拒む様相を呈した建物に睨み付けられながら、僕は空白を埋めるように隣の彼に声をかけた。返事はない。
 誰も来なくなって久しい町はずれの山の上、そこに物言わず腰を下ろしたコンクリートの建物は、真夏の彩度の高い緑に囲まれながらもそこだけが異様にモノクロだった。壁を這う蔦の緑も、手入れされない庭で咲き続けるひまわりの黄色も、何もかもすべてが色あせて見えた。異質だ。異様だ。そうとしか表現できないこの敷地内に、僕らは入らなければならない。この建物に囲まれた中庭へ、足を踏み入れるのだ。
 ふらりと歩き始めた同僚、黒崎の後ろをよたよたと追いながら、僕は自分の顔から血の気が失せていくのを感じていた。

「今日もやっぱり、落ちてくるのかな」

 ああ、吐きそうだ。気持ち悪い。怖い。そうだ、怖い。こんなところに来ちゃいけない。分かっているのに行かなきゃいけない。一週間前に戻りたい。こんなところで、あんなものを見なきゃいけないと分かっていたなら、僕は絶対頷かなかったのに。
 でも、後悔してももう遅い。

「落ちてくるんじゃないか、今日も」

 言葉少なに答えた黒崎の声はやはり掠れていた。この暑さで喉が渇いたのか、それとも緊張か。だがその暑さも、敷地内に足を踏み入れれば踏み入れるほど不自然なまでに消えていく。あれだけ体を濡らしていた汗が引いていくのが分かる。寒気すら感じるほどで、僕は自分の体を抱くように二の腕を掴んだ。手のひらはまだ、熱い。
 建物の中には入らない。そもそも入れない。町はずれにある廃墟といえば大体は噂に背びれや尾びれがついて、最終的には肝試しに最適なスポットとなり果てると思うのだが、この建物についてはそれが当てはまらない。つまり、玄関も一階の窓ガラスもどこも割れていない。遠目から見ても、玄関にはご丁寧にチェーンと南京錠がかけられているようだった。僕も黒崎も、玄関を開けるための鍵までは預かっていない。
 中庭に行くには建物をぐるりと回ればいい。この建物は、大雑把に言えばコの字型をしているから、中庭に行くルートは単純だ。強いて言えば、今まで誰も手入れをしていなかったせいで雑草が生い茂り、ひどく歩きにくい。身の丈ほどもある雑草を腕で払っていると、ちくりと痛みが走った。どうやら鋭い葉で切ったようだった。思わず舌打ちをしそうになるのを堪えて、前を行く背中を追うことに集中する。
 黙々と歩を進める黒崎は、この寒気や恐怖を感じていないのだろうか。一週間前、初めてここに来た時から、彼は大きな動揺を見せていなかったと思う。真っ正直に恐怖を訴えた僕を笑うでもなく、じゃあ俺が前を歩く、と言った彼の表情は窺えない。それが頼もしくもあり、同時に不気味だった。僕が追う少年は本当に、坂道を一緒に歩いてきた少年なのかという疑念がむくむくと起き上がってくるのだ。それを振り払うように、彼の燃えるような赤毛を見ては、気付かれないように深呼吸をする。
 中庭にはあっという間に到着した。二人そろって腕時計を見る。午前11時58分。ちょうど良い、といったところか。
 残りの二分は、まるで永遠のように緩やかに進んでいった。高鳴る心臓は一生分、その鼓動を刻んだかもしれないと思ってしまうくらい、長い、長い二分だった。
 時計の短針と長針が重なり合う。その瞬間を、僕らは見る。

「――あ」

 声を漏らしたのははたしてどちらだったのか。僕らはそろって、建物の屋上から落ちてきたものが、重い音を立てて地面に衝突する瞬間を見ていた。
 中身の詰まった重い紙袋を落としたような鈍い音がする。潰れるような水音はしなかった。だからとって、落ちてきたものが、ただの重い紙袋であるはずもなかった。
 僕らは知っているからだ。この夏の間、数日ごとに、建物の屋上から落ちてくるものの正体を。
 体中が震えていたけれど、それでも僕は近づかなければならなかった。くらくらする。世界が回っている。足取りは重い。そして鈍い。規則正しい足音は黒崎のものだ。盗み見た横顔は思ったよりも血の気が失せていたけれど、きっと僕よりはよほどましだ。
 距離、おおよそ10メートル。それだけ離れていても、僕と黒崎には、地面に衝突したなにかが見えていた。
 生い茂る草はその周囲だけまるで、上から力をかけて潰されたかのように倒れている。スポットライトが当たった舞台とはこのようなものなのだろうか。もしくは、美術館の特別展示のメインか。それにしたって趣味の悪い舞台だし、特別展示のメインにするにはあまりに生々しい。
 倒れ伏した雑草の中心に落ちているのは、人の足だ。成人の、男か女かは分からない。だが、足だった。付け根からつま先まで、何一つ傷のない、白く生々しい、人の右足。
 僕らの足元に転がっている秘密は物も言わず、現実感のない白さでそこにある。


※10年くらいの時を経て、ゼロと黒崎の出会いを考えてみた。
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