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bernadette

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小ネタ


 二週間に一度、ムノとエーヌは仕事場を離れ、街に出ることを許される。だがそれは外出許可というよりも、彼らの護衛対象である少女のもとから引き離すのが目的ではないかと言うのが二人の共通意見だ。エルシーという少女はおそらく普通の少女ではない。ではどう普通ではないのか、という説明は出来ないが、彼女から漂う違和感を、ムノはムノなりに感じとっていた。
 だがそれを指摘する立場ではないということも重々理解しているが故に、ムノは今日も、特に目的がないまま街に繰り出した。

「おまえはどうすんの」
「文房具屋にでも行く。新しく万年筆を買おうかと思ってな」
「ふーん。俺はどうするかなあ。どっかのカフェにでも引きこもるか」
「相変わらず時間の使い方が下手だな」

 エーヌの指摘はその通りだったので、ムノは小さく苦笑いをすることでそれに答えた。彼女は、それじゃ、とあっさりと離れていく。いつも通りだ。彼女の方がムノよりよほど器用なのは、「ファーム」にいた頃から変わりない。どうしようもない「休暇」という無駄な時間も、彼女は有意義に使ってしまうだろう。

「暇だなあ」

 それはつまり平和であることの裏返しだと、ムノは知らないふりをした。
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パーティーは終わらない



「運が悪いな」

 ぬるくなったであろうシャンパンを口に含み、目の前の男は囁くようにそう言った。どこか甘い男の低い声は、さざめく人々の中にそっと溶けて消えていくようだ。真似るようにグラスに口をつけながら、まったくだ、と他人事のように俺も頷く。あえて無表情を顔に張り付けながら、さてどうしたものか、とひとり、思考に耽る。
 子どもが不安そうに、俺の腰の辺りに手を回し、抱き付いている。だが実際は不安というよりも警戒しているのだろう。無害そうな少女だが、その実態は冷徹な暗殺者であることを、俺も、目の前の男もよく理解している。何かあればこの少女が、己の命を懸けてでも俺の身を守るであろうことはもはや口にするまでもない事実だが、しかし今はイレギュラーな状況だ。この少女は優秀な暗殺者であってボディガードではない。想定していた範囲での迎撃は可能だが、まったく想定していなかった事態には弱いのだ。己の命を懸けてでも俺の身を守る、それは確かだが、万が一この少女が命を落とせば、それ以上俺は護衛の手段をなくしてしまうということだ。さてどうしたものか、と、もう一度頭の中で同じ言葉を繰り返す。
 それに比べて目の前の男はどうだ。飲み切ったグラスはいつの間にか手から消え、代わりにタバコの箱がその中にある。洒落たダークグレーのスーツから取り出したのは銀色のライターだ。だが俺にくっついている子どもを見て、男はライターをポケットに戻した。少しだけ、バツの悪そうな顔をしていた。少なくとも、俺よりよほど余裕のある表情と動作だ。いつも隣にいるはずのボディガードがいないが、それは彼にとって、取るに足りない問題なのだろう。
 ちらりと視線を向けた先、パーティー会場の出入り口には警備員が配置されている。誰も入れるな、誰も出ていくな、ということらしい。

「12階の一室に宿泊していた夫婦が何者かに殺害されたそうですよ」

 世間話のように投げかけられた言葉に思わず振り向くと、グラスを両手に持った女が涼やかな表情をして立っていた。すらりとした体を光沢のあるグレーのワンピースで飾った、まだ若い女だ。透き通るような白い肌が、シャンデリアのきらめきを受けてより一層白く輝いている。人の目を惹く美人、という訳ではないが、控えめながらそれなりに整った顔立ちにしなやかな体つき、理知的な眼差しと、パーティーのお供には打ってつけだ。だがこの女もまた一癖ある人物であることを俺は知っている。
 彼女は新しいワイングラスを男に差し出し、その横に並ぶ。心なしか、俺の服をつかむ少女の手に力がこもったような気がした。

「すでに警察は来ているようですが、まだ、時間がかかるようです。場合によっては事情聴取されるかもしれませんね」
「さっさと帰りたいところなんだがな」

 おそらくこの会場の人々が思っているだろうことを堂々と口にした男は、無警戒と言っていいほどにあっさりとワインを飲み干した。またしても空になったワイングラスを弄びながら、男は目を合わせずに俺に問う。

「さて、ランスロット。今回は、本当に、運が悪いな?」

 ――さあ、どうだろうか?
 男は言いたいのだ。俺と、この男、ある種の共犯者が揃った会場で何者かが殺された。それははたして偶然なのか? 12階で殺された老夫婦が一体何者なのか、それは現時点では分からない。だがもしかしたら俺やこの男と縁のある人物かもしれない。まったくの別人かもしれないが、だからといってそれが安心の材料になるとは限らない。ただの見せしめ、警告。そのために無害な一般人が殺された可能性もある。今、こうして、会場に足止めされながら、俺たちは命を狙われていることも考えられるのだ。
 少女の温かな手が、俺の手に触れた。見下ろすと緑の瞳とぶつかる。照明の光を受けた目は宝石のように輝き、一瞬だけそれに意識を惹かれた。

「マスター」

 自分が守るのだと少女は言葉にせずともその目で語る。柔らかな髪を手で梳きながらぼんやりと、少女のドレスから伸びた青いリボンを見つめていた。会場に満ちる人々の声を聞きながら、思わず俺は口を開いていた。

「……さっさと帰りたい」

 女の腰に手を回しつつ、男はくつくつと笑った。疲れたような声を発した俺とは違い、やはり、彼はどこか余裕を漂わせている。恋人であり、ボディガードであり、腹心の部下である女は涼やかな表情のまま、手にしたままだったワイングラスに口をつけていた。


in the farm


 早く”ご主人様”に会いたい、と夢見るような緑の瞳をうるませ彼女は俯いた。大きな瞳から涙があふれる瞬間を見たくない、と、少年はそっと目をそらす。人が泣くのを見るのは苦手だ。良心が痛むからではない。泣き止ませるのが面倒だと、今までの経験から知っているからだ。
 まだ見ぬ”ご主人様”に恋する少女を泣き止ませるのは、「ファーム」の中の商品では一際年を重ねた二人組だった。だが、その二人は今日、外の世界に行ってしまう。
 困ったように男が唸る。

「ほらほら、泣き虫直すんじゃなかったのか」
「だってえ」
「あーもー泣くんじゃない。泣くなら俺たちのために泣いてくれよな」
「それはやだあ」
「いやなのかよ、冷たいやつめ」

 仲の良かった二人との別れではなく、いまだ運命の出会いを迎えないことに涙を流すのは彼女らしい、と思う。スペクターと呼ばれる男が少女を抱き上げあやす、その横で、同じくゴーストと呼ばれる女が仕方ないと言わんばかりに少女の髪の毛をそっと撫でていた。
 ”ご主人様”に恋い焦がれることで精神のバランスを保つ、その難しさを知らない彼ら二人はとても幸福だろう。「ファーム」の商品たちは人を殺し、自分の体を売る。それがもたらすストレスから精神を守るために、バランスをとるための何か、支えを、商品である彼らは持たなければならない。少女の支えがまだ見ぬ彼女の買い手に恋をすることであり、彼女がそれに傾倒していることは、この「ファーム」の中では有名だ。
 たった一人、そのためだけに戦う者は強い。

「スペクター、あたし、いつになったらご主人様に会えるの」

 駄々をこねるようにスペクターの髪の毛を引っ張る少女から目をそらし、少年はその場を後にしようと背を向ける。それを静かに止めたのは、ゴーストだった。

「アレクセイ」
「……誰のことでしょう」
「お前の新しい名前だろう」

 いつの間にかスペクターは少女を抱えたまま、廊下の向こう側へ歩き出していた。後に残されたゴーストは彼らを追うそぶりを見せず、透明なまなざしで少年を見つめていた。灰色の目だ。少女を宥めるのがスペクターならば、少年を諭すのは、灰色の目をしたゴーストだった。
 少女の泣き声はもう聞こえない。スペクターの背中はあっという間に見えなくなっていた。

「工場長に聞いた。私たちの後に、ここを出ていくんだろう」
「マフィアです。くだらない組織ですよ」
「……そうか」

 さっきまで少女にしていたように、ゴーストの手が少年の頭に伸びる。払おうと思えば払える手だ。だが、それを拒もうと思ったことは一度もない。歳が10も離れた女性は頼れる姉であり、狙撃の師であり、幼い自分を守る母親だった。

「お前はきっと、私やあの子とはまったく別の道を行くんだろうな」
「同じです。あなたたちが誰かに買われたように、僕もマフィアに買われて、そこで人を殺すんです」
「そうかな。私にはそうは思えない」

 そこで初めてゴーストは膝を曲げ、少年と視線を合わせた。普段は仏頂面の彼女の白い顔に、いたずらめいた笑みが浮かぶ。まるで少女のように無邪気な、それでいて芯の通った表情は、もう、見ることはかなわないのだろう。

「お前も、良い”ご主人様”を見つけられると良いな」

 優しく髪の毛を梳くその手に少しだけすり寄り、少年は目を伏せた。いまだにバランスのとり方を知らない彼が傾倒できる誰かを、自分のすべてを捧げても良いと思える誰かを、姉であり師であり母である彼女は与えられない。これでさよならだ、と、耳元で囁かれた言葉を受け止めながら、アレクセイと言う名だけを与えられた少年は、少しだけ泣いた。




邂逅



「……あっ」

 ライラの手から滑り落ちたペンは床を転がり、小さな可愛らしい靴の前で止まった。ライラが慌てて身をかがめるよりも早く、まだまろい指先がペンを優しく拾い上げる。足元に落としていた視線を上げると、賢そうな緑の瞳とぶつかった。エメラルドを思わせる、澄んだ緑色の目をした少女はにっこりと笑みを浮かべていた。

「はい、お姉さん。どうぞ」

 長い髪をリボンでハーフアップにした、まだローティーンだろう少女は愛らしい。上流階級の生まれなのか身につけているものや仕草、漂う雰囲気すべてが上品だ。ぼんやりと、ああ、良いなあ、と思った。こんなに可愛らしい少女だ、あと五年もすれば、それは素晴らしいレディになるだろう。
 少女に魅入られたライラよりも先に、ペンを受け取ったのはアレクセイだった。それまでライラの一歩後ろにいた彼は、音もなくライラと少女の前に体を滑り込ませ、差し出されたペンをやはり音もなく彼女の手から取った。決して乱暴ではないが、どこかぶっきらぼうな動作は彼らしくない。目を瞬かせるライラに対し、少女は天使のような笑みを浮かべたままだ。アレクセイの、ともすれば不機嫌さを感じさせる動きに気分を害した様子はない。

「あ、ありがとう、お嬢さん。助かったわ」
「どういたしまして。それじゃあ、あたし、行きますね」

 ぴょこん、と一礼した少女は、スカートの裾を揺らめかせ雑踏に戻っていく。少女の背中はどんどん小さくなり、やがて見えなくなった。
 アレクセイの手がライラのジャケットをつかみ、小さく引っ張ったその動きに、ようやく我に戻った。あんな幼い少女に見蕩れていた自分が妙に恥ずかしく、ライラは少年の目をまっすぐに見返すことなく、なあに、と答えた。
 目の前に差し出されたのはペンだ。

「はい、おねえさん。どうぞ」

 さっきの少女がしていたように、両手で、さして高くもないライラのペンを差し出している。あの少女とアレクセイの姿が重なった。出身どころか名前以外の何も分からない少年の動きはなめらかで、優雅ささえ漂う。上流階級で生まれ育ったのではないかと思わせるほど堂々と、それでいながら圧迫感を漂わせることのない洗練された動きは、まだ成長しきらない少年の外見と絶妙なバランスを保ち共存している。無理をした大人らしさではない、身の丈にあったアレクセイの動作はとても好ましい。
 ただ、あの少女と、バランスを保った上品な仕草が、よく似通っている気がするのだ。

「ありがとう」

 名前以外を語らない少年に、あの少女を知っているのか、尋ねたところで答えは返ってこないだろう。あの子、あなたの知り合いなの? そう問いかけようとした唇を一度閉じ、次に開いて出たのは簡潔な礼だった。
 たった一言だけにも関わらず、少年は嬉しそうに微笑む。それまでのかたくなな様子がまるで嘘のような、甘く蕩けるような笑みだった。


Dame du Lac


 『ファーム』で買った幼い暗殺者が初めての仕事を成功させた時、褒美に求めたのは名前だった。
 もともと買ったときからその子供に名前はあった。いくら人殺しを作る『ファーム』でも、いや、それだからこそ、商品にはそれなりの扱いを保証していて、もちろん名前も与えていた。別に俺はその名前で良いと思っていたのだ。栗色の長い髪に鮮やかな緑の目。それによく似合った名前だった。

「今の名前は嫌いか」
「いいえ、そういうわけじゃないんですけど。でも、マスターから名前をいただきたいんです」

 ソファーに座り書類を読む俺の膝に少女は遠慮なく乗り上げた。だからといって俺の仕事の邪魔をすることはなく、ただ、膝の上に体を載せ、何をするわけでもなくそこにいる。重くはない。小柄な体は俺が片腕で抱えられそうなほど細く、そして軽い。
 書類を目で追いながら、ある程度の予想はついた。ペットに名前をつけるようなものだ。何かに誰かに名前を与えると言うことは、それを己の所有物にするということに等しい。自分の主に命をかけるほどの恋をするこの子供にとって、主から名前を貰うという行為は何物にも変えられない証になるのだろう。自分はこの男の物なのだということを形にしたいのだ。いや、あるいは俺に、それを実感として残したいのか。いずれにせよ、子供ながら末恐ろしいことを考える。本人がそれをどこまで自覚しているか、というのは不明だが、少なくとも名前をつけることの意義は幼いながらに理解しているに違いない。
 とはいえ、それを断るほどの理由がないのも事実だ。これはある種の契約に近い。盲目的な恋をする子供は俺のために汚れ仕事をなんだろうとこなす。俺はただ享受しているだけ、ではない。働きに見合う程度の報酬を与えねばならない。口に出して言ったわけではないが、少なくともそうしなければならないのだ。それを怠って己の身を滅ぼす愚者になりたくはない。なにせ相手は年少ながら、俺よりよほど強いのだから。
 ではどうしようか、と考えつつ、答えはほぼ決まっていた。

「ヴィヴィアン」
「?」
「は、どうだ」
「ヴィヴィアン」
「そうだ」
「それがあたしの、新しい名前ですか」
「気に入らないか」
「いいえ!」

 ぱ、と顔を輝かせた子供は体を起こすと、その全身で喜びを表現しようとばかりに俺の首に腕を回して抱きついた。子供の体温はあたたかく、かすかに甘い香りにくすぐられたような気分になる。

「すてきな名前です。ありがとうございます!」
「そうか」
「えへへ」

 耳元で聞こえる声はずいぶんと上機嫌だ。よほどお気に召したらしい、子供は鼻歌でも歌い出しそうな様子だった。俺は書類を一枚めくりつつ、部屋の隅の本棚にひっそりと目を向ける。本棚に収められた古びた本を、その中に書かれたとある王と騎士の物語を、はたして少女は知っているのだろうか。我ながららしくない命名だと思いつつ、心の底から嬉しそうに笑う子供には、結局、それ以上何も言わないままにした。