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bernadette

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in the farm


 早く”ご主人様”に会いたい、と夢見るような緑の瞳をうるませ彼女は俯いた。大きな瞳から涙があふれる瞬間を見たくない、と、少年はそっと目をそらす。人が泣くのを見るのは苦手だ。良心が痛むからではない。泣き止ませるのが面倒だと、今までの経験から知っているからだ。
 まだ見ぬ”ご主人様”に恋する少女を泣き止ませるのは、「ファーム」の中の商品では一際年を重ねた二人組だった。だが、その二人は今日、外の世界に行ってしまう。
 困ったように男が唸る。

「ほらほら、泣き虫直すんじゃなかったのか」
「だってえ」
「あーもー泣くんじゃない。泣くなら俺たちのために泣いてくれよな」
「それはやだあ」
「いやなのかよ、冷たいやつめ」

 仲の良かった二人との別れではなく、いまだ運命の出会いを迎えないことに涙を流すのは彼女らしい、と思う。スペクターと呼ばれる男が少女を抱き上げあやす、その横で、同じくゴーストと呼ばれる女が仕方ないと言わんばかりに少女の髪の毛をそっと撫でていた。
 ”ご主人様”に恋い焦がれることで精神のバランスを保つ、その難しさを知らない彼ら二人はとても幸福だろう。「ファーム」の商品たちは人を殺し、自分の体を売る。それがもたらすストレスから精神を守るために、バランスをとるための何か、支えを、商品である彼らは持たなければならない。少女の支えがまだ見ぬ彼女の買い手に恋をすることであり、彼女がそれに傾倒していることは、この「ファーム」の中では有名だ。
 たった一人、そのためだけに戦う者は強い。

「スペクター、あたし、いつになったらご主人様に会えるの」

 駄々をこねるようにスペクターの髪の毛を引っ張る少女から目をそらし、少年はその場を後にしようと背を向ける。それを静かに止めたのは、ゴーストだった。

「アレクセイ」
「……誰のことでしょう」
「お前の新しい名前だろう」

 いつの間にかスペクターは少女を抱えたまま、廊下の向こう側へ歩き出していた。後に残されたゴーストは彼らを追うそぶりを見せず、透明なまなざしで少年を見つめていた。灰色の目だ。少女を宥めるのがスペクターならば、少年を諭すのは、灰色の目をしたゴーストだった。
 少女の泣き声はもう聞こえない。スペクターの背中はあっという間に見えなくなっていた。

「工場長に聞いた。私たちの後に、ここを出ていくんだろう」
「マフィアです。くだらない組織ですよ」
「……そうか」

 さっきまで少女にしていたように、ゴーストの手が少年の頭に伸びる。払おうと思えば払える手だ。だが、それを拒もうと思ったことは一度もない。歳が10も離れた女性は頼れる姉であり、狙撃の師であり、幼い自分を守る母親だった。

「お前はきっと、私やあの子とはまったく別の道を行くんだろうな」
「同じです。あなたたちが誰かに買われたように、僕もマフィアに買われて、そこで人を殺すんです」
「そうかな。私にはそうは思えない」

 そこで初めてゴーストは膝を曲げ、少年と視線を合わせた。普段は仏頂面の彼女の白い顔に、いたずらめいた笑みが浮かぶ。まるで少女のように無邪気な、それでいて芯の通った表情は、もう、見ることはかなわないのだろう。

「お前も、良い”ご主人様”を見つけられると良いな」

 優しく髪の毛を梳くその手に少しだけすり寄り、少年は目を伏せた。いまだにバランスのとり方を知らない彼が傾倒できる誰かを、自分のすべてを捧げても良いと思える誰かを、姉であり師であり母である彼女は与えられない。これでさよならだ、と、耳元で囁かれた言葉を受け止めながら、アレクセイと言う名だけを与えられた少年は、少しだけ泣いた。




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