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bernadette

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駿河と大和と彼らの闇

 握りしめた固い感触が叫んでいる。早く、早く、早く、早く。走るより速く。風よりも速く。朝が来る前に。朝焼けが闇を食い尽くす前に。季節が変わる前に。
 なぜそうも急いているのか。持つ者の精神を浸食する声なき声は、咽び泣いているようにも、怒りを喚き散らすようにも聞こえた。心が穏やかにならない。生温く吹く風に身を委ねても、静寂は駿河の心に訪れない。
 ただ、それは叫んでいる。
 そっと目を開ければ、一色の闇がこちらを覗いている。

「怖いか」

 静かな声が背にかかる。数歩後ろに下がった大和の声は、目の前の暗闇に吸い込まれていくようだ。わずかな呼吸の音さえも奪われていく。暗闇は、恐ろしい。

「怖い、です」

 正直に答えた。もとより駿河は嘘をつくのは苦手だ。それは、物事を隠せないということでも、良心が咎めるということでもなく、ただただ嘘をついたその後の、事実関係の隠蔽が面倒だからだ。大和が笑う気配がした。嘲笑ではない。素直に答えた駿河の正直さを知っているが故の、安堵の微笑みだった。
 駿河は、この闇が怖かった。

「おれたちも、こういう闇から生まれたから。だから、なおさら怖い」

 駿河も、駿河が愛してやまない彼の『姉』も、尊敬する大和も、幼なじみの陸奥も。皆、自も他も区別がつかない真っ暗闇にどろどろと溶けながら、何かの拍子に形を得、暖かな手に掬い上げられ、そうしてようやく己を己だと認識できたのだ。駿河は、自分がどんな存在であるのかを知らない。人間ですらないからだ。人間は、母と父の間に生まれて来るものだという。だが、駿河は母親という子を腹に宿すものも、父親という子を守り慈しむものも、悲しいことに何も知らなかった。
 ただ、彼はそれを不幸だとは思えなかった。生まれたときから彼を愛し守ってくれる『姉』がいた。共に成長していく少女とその兄もいた。そして、彼に名と確固たる形を与えてくれた師がいた。それを幸福と呼ばず、何と呼べばいいのか。
 だから彼は暗闇が怖い。彼が彼になる以前の、泥のような黒色に飲み込まれるのが怖い。飲み込まれ溶けたとき、掬い出してくれる手を掴む手を無くしてしまうことがこの上なく恐ろしいのだ。
 握りしめた固い感触が叫ぶ。早く。早く。早く。早く。朝を迎える前に。朝焼けが闇を焼いてしまう前に。焼かれた闇がさらに色を濃くし、夜に蘇ってしまう前に。駿河達のようになりきれなかった哀れなものが、その黒い手を伸ばすより早く、切り落としてしまわねば。
 ああそうだ、そうしておれは葬るんだ。あの闇は駿河達の不幸だ。闇から産まれた子供達の悲しい過去だ。人間ではない彼らを正しく定義づけるのは、彼らの師がひとりひとりに与えてくれた「名」、それだけだ。正しく殺して葬らなければならない。「名」を与えられるほどの形を持たない、悲哀と怒号と苦痛の塊を。それらから抜け出すことの出来た、駿河達の手で。
 真っ暗闇の中でも銀色の光が見えた。固い鞘から抜き放たれた刃の輝きが目を強く灼く。この日のためだけに用意された刃は初めて触れたはずなのに、何年も会っていなかった旧友に出会えたような懐かしさを胸に過ぎらせた。さあ、仕事だ。大和が静かに隣に並んだのが見えた。

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