2013/12/13 Category : NBM 亡霊の宴 いつも通りスーツの黒いスラックスに、白いシャツ、青いネクタイ、しかし黒いジャケットはハンガーに掛けたままだ。数年履き続けている革靴も今日は留守番で、ムノはシューズクローゼットから黒い編み上げのブーツを取り出した。古びた革製のコンバットブーツだが作りは頑丈で、これもまた、数年来の付き合いとなる。慣れた作業だ。足を入れ、紐をきつく締めていく。 留めているシャツのカフスを今日は外し、袖を肘まで捲り上げ、これでムノの準備は完了だ。ざっと後ろを振り返ると、既に準備を終えていた相棒が、愛用のスナイパーライフルを肩に担いで待っていた。「ずいぶんと遅い準備だな、ムノ。歳を食って体が重くなったか」「あいにくおしゃれには気を使う方でね。おしゃれと言えば、お前もそろそろ年齢的に、化粧に頼らざるを得なくなるんじゃないのか」「お気遣いどうも、だが心配なく。私の肌は荒れるということを知らなくてね」 化粧気のない相棒の頬は、いつものように白い。それは癖のある髪も同様だ。彼女は先天的に、色素が不足しているのだ。第二ボタンまで開けられはだけた胸元もやはり白く、月明かりを受けた彼女はまるで、亡霊のようだった。 誰が言い出したのかは分からないが、彼女は昔、ゴーストと呼ばれていた。全くその通りだと心の中で同意する。こんなに恐ろしい女が同じ人間であるとは、誰も思いたくはない。 両膝にナイフ用のホルスターをつけ、さらに腰の後ろにポーチを下げる。黒い革製のグローブを填め、ムノは何度か手を開閉した。いつも通りに動く体は、少し、脈が速い。深呼吸をしながらポーチの中にワイヤーを一巻き突っ込んだ。脇の下のホルスターにはそれぞれ拳銃を収め、あとは無線用のヘッドセットを装着すれば完了だ。ムノに背を向けた相棒は機械相手に黙々と作業をしている。無線の周波数を調整しているのだ。背骨の浮いた白いシャツを眺めながら体をほぐしていると、ほどなくして彼女はムノにヘッドセットを差し出した。「これでオーケーだ。あとは、いつも通りに」「はいよ」 使い慣れたヘッドセットは手早くムノの頭部に装着され、微かなノイズを発していた。誰も彼も寝静まった屋敷の中に音はない。耳元のノイズばかりが自己主張をする。 無線機一式を背負い、スナイパーライフルを担ぎ直した相棒は、それじゃ、と一言、あっさりとドアを開けて廊下に出た。「ではまた、一時間後にでも」「ああ。お互い良い夜を、ゴースト」「良い夜を、スペクター」 まだ主から名前をもらう前の、趣味の悪い呼び名で呼び合い、亡霊同士音もなく部屋を出た。ムノは窓を開け、身を躍らせる。夜の空気は冷え冷えとムノの肌を突き刺すように撫でた。静まりかえった屋敷の外は月明かりで眩しいほどだ。一瞬だけ、月光に照らされた庭園に目を奪われる。たった一人の少女のために作られた楽園は、少女以外の者をどこまでも拒む。そしてムノも、相棒も、少女の世界に無遠慮に踏み込む輩には容赦しない。 誰が言い出したのかは分からないが、ムノ達は亡霊なのだという。スペクターだ、ゴーストだ、と口々に言い合うそれを、名乗るようになったのはいつの頃だったか。足音も殺気もなく近寄るスペクターに、遙か遠くから狙い澄ました一発を当てるゴースト。趣味の悪い名前だ。ムノはいつもそう思う。だがこれ以上似合う名前もあるまい、とも納得している。亡霊ならば亡霊らしく、侵入者を祟り殺すのが礼儀というものだ。少女のための世界を汚す者は、たとえ誰であっても許してはいけない。 壁を一度蹴って体を回転させ、地面を転がり衝撃を殺した。回転した勢いに背中を押されるように、ムノは走る。耳元でノイズが走り、女の低い声が告げた。あと10秒で配置につく。了解、と一言、ムノはナイフに手をかけた。 PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword