忍者ブログ

bernadette

Home > ブログ > 記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

亡霊の宴


 いつも通りスーツの黒いスラックスに、白いシャツ、青いネクタイ、しかし黒いジャケットはハンガーに掛けたままだ。数年履き続けている革靴も今日は留守番で、ムノはシューズクローゼットから黒い編み上げのブーツを取り出した。古びた革製のコンバットブーツだが作りは頑丈で、これもまた、数年来の付き合いとなる。慣れた作業だ。足を入れ、紐をきつく締めていく。
 留めているシャツのカフスを今日は外し、袖を肘まで捲り上げ、これでムノの準備は完了だ。ざっと後ろを振り返ると、既に準備を終えていた相棒が、愛用のスナイパーライフルを肩に担いで待っていた。

「ずいぶんと遅い準備だな、ムノ。歳を食って体が重くなったか」
「あいにくおしゃれには気を使う方でね。おしゃれと言えば、お前もそろそろ年齢的に、化粧に頼らざるを得なくなるんじゃないのか」
「お気遣いどうも、だが心配なく。私の肌は荒れるということを知らなくてね」

 化粧気のない相棒の頬は、いつものように白い。それは癖のある髪も同様だ。彼女は先天的に、色素が不足しているのだ。第二ボタンまで開けられはだけた胸元もやはり白く、月明かりを受けた彼女はまるで、亡霊のようだった。
 誰が言い出したのかは分からないが、彼女は昔、ゴーストと呼ばれていた。全くその通りだと心の中で同意する。こんなに恐ろしい女が同じ人間であるとは、誰も思いたくはない。
 両膝にナイフ用のホルスターをつけ、さらに腰の後ろにポーチを下げる。黒い革製のグローブを填め、ムノは何度か手を開閉した。いつも通りに動く体は、少し、脈が速い。深呼吸をしながらポーチの中にワイヤーを一巻き突っ込んだ。脇の下のホルスターにはそれぞれ拳銃を収め、あとは無線用のヘッドセットを装着すれば完了だ。ムノに背を向けた相棒は機械相手に黙々と作業をしている。無線の周波数を調整しているのだ。背骨の浮いた白いシャツを眺めながら体をほぐしていると、ほどなくして彼女はムノにヘッドセットを差し出した。

「これでオーケーだ。あとは、いつも通りに」
「はいよ」

 使い慣れたヘッドセットは手早くムノの頭部に装着され、微かなノイズを発していた。誰も彼も寝静まった屋敷の中に音はない。耳元のノイズばかりが自己主張をする。
 無線機一式を背負い、スナイパーライフルを担ぎ直した相棒は、それじゃ、と一言、あっさりとドアを開けて廊下に出た。

「ではまた、一時間後にでも」
「ああ。お互い良い夜を、ゴースト」
「良い夜を、スペクター」

 まだ主から名前をもらう前の、趣味の悪い呼び名で呼び合い、亡霊同士音もなく部屋を出た。ムノは窓を開け、身を躍らせる。夜の空気は冷え冷えとムノの肌を突き刺すように撫でた。静まりかえった屋敷の外は月明かりで眩しいほどだ。一瞬だけ、月光に照らされた庭園に目を奪われる。たった一人の少女のために作られた楽園は、少女以外の者をどこまでも拒む。そしてムノも、相棒も、少女の世界に無遠慮に踏み込む輩には容赦しない。
 誰が言い出したのかは分からないが、ムノ達は亡霊なのだという。スペクターだ、ゴーストだ、と口々に言い合うそれを、名乗るようになったのはいつの頃だったか。足音も殺気もなく近寄るスペクターに、遙か遠くから狙い澄ました一発を当てるゴースト。趣味の悪い名前だ。ムノはいつもそう思う。だがこれ以上似合う名前もあるまい、とも納得している。亡霊ならば亡霊らしく、侵入者を祟り殺すのが礼儀というものだ。少女のための世界を汚す者は、たとえ誰であっても許してはいけない。
 壁を一度蹴って体を回転させ、地面を転がり衝撃を殺した。回転した勢いに背中を押されるように、ムノは走る。耳元でノイズが走り、女の低い声が告げた。あと10秒で配置につく。了解、と一言、ムノはナイフに手をかけた。
 

PR

レイン、レイン


「おねえさん」

 突然の雨にさざめく雑踏の中、空色の傘を差した少年がじっとライラを見つめていた。
 不思議な少年だとライラはいつも、彼を見るたびに思う。まだ成長期が始まったばかりの、不安定な声をした少年は妙に大人びている。多感な年頃だろうにライラ以上に落ち着き払った態度をとり、その表情は何を考えているのか分からない、感情の見えない顔をしていた。そのくせライラを「おねえさん」と呼び、無表情ながらに彼女を慕う。とはいえそれは、家出してきたという彼を匿っているライラに、ある程度の信頼を置いているからなのだろう。ライラが借りる狭いアパートの一室で、文句の一つも言わずにライラの代わりに家事を済ませ、静かに本を読み、時にこうして迎えにやってくる。
 小さな騎士様のお迎えね、と、ライラの先輩がからかい笑った。言葉に悪意はなくとも羞恥は感じる。頬が赤くなるのを自覚しながら、ライラはそそくさと先輩に別れを告げ、少年の元へ駆けた。

「アレクセイ」
「お仕事、お疲れ様です。雨が降っていたので迎えに来ました。傘、持って行かなかったでしょう」
「ええ、そうなの。どうしようかと思っていたからうれしい。ありがとうね」

 少年に差し出された傘は白地に薄青のストライプの入った、ライラの傘だった。少し古びたそれを差す。とたん、傘の生地打つ雨音が近くなる。予想外の雨に、傘を持たない人々が横を足早に過ぎ去っていった。会社を振り返ると、一緒に外に出たはずの先輩や同僚はもう既にいなかった。こんな天気の日は、誰もが自然と急ぎ足になる。
 おろしたてのディープブルーのパンプスが汚れてしまわないか、それが心配だった。エナメル生地のシンプルなそれは、そういえば、一緒に買い物に行った少年が、どういう訳か気に入ったものだった。きれいないろですね、と彼は呟いた。きっとおねえさんに似合います、とも。
 綺麗な色をしているのは彼の目もそうだった。深い青色は深海を思わせる色合いで、いつもライラを見つめている。物言いたげな、しかし決して語らない、いまだ成長しきらない少年の二つの目。彼の言葉とその色が妙にライラの中に残り、結局買ったのだった。彼が使う物を買いに来たのに、と謝るライラに、彼は静かに首を横に振り、おねえさんが気に入ったのなら良かった、と、どこか表情を和らげて答えてくれた。

「おねえさん、そのパンプスは、先週買った物ですよね」
「うん、そうよ」
「やっぱり、おねえさんに似合います」

 アレクセイの言葉はいつもストレートだ。少なくとも、彼と出会った二週間前から、彼の言葉はまっすぐにライラのもとに届く。彼はどうやら、表情ではなく言葉そのもので語る性質のようだ。また頬に熱が集まるのを感じながら、ライラは小さくありがとう、と返した。目の前の少年は、不思議そうに首をかしげてライラを見上げている。

「なんでもない、なんでもないんだけど。……そうだ、今日は何を食べようか。買い物をしていかないとね」
「今日は少し寒いので、温かいものが食べたいです」
「それなら、ポトフでも作ろうか」

 ゆっくりと歩き出すと、アレクセイもまた、ライラに肩を並べるように歩き出す。目の前を過ぎていく人々よりも足取りをゆっくりと、まだおろしたばかりのパンプスを汚さないように、慎重に行く。くるり、と視界の隅で空色が回った。まるで幼い子供がするような動作に、そういえば彼もまだ子供の部類に入るのだと実感し、ライラは少しだけ、口元を緩ませた。


・ライラ……わりと鈍感な一般人
・アレクセイ……わりと計画的犯行をする非一般人
 

人々

20121213更新


ランスロット(28/男/180cm)
・とあるマフィアの幹部。表向きは不動産業を営んでいる若社長。
・人を信用することに関して慎重。時には自分の親さえ疑う。
・非常に冷静な性格。取り乱すことはほとんどない。「俺」


ヴィヴィアン(12/女/148cm)
・ランスロットに買われた暗殺者。命名はランスロット。
・暗殺に長ける。そのため集団戦、乱闘は苦手。護衛には向かない。
・「ファーム」という施設で育った。「主に恋をする」ことで殺人する際の心のバランスを保つ。
・緩やかなウェーブを描く茶髪、緑の瞳。美人。
・丁寧だが幼さのある口調で話す。「あたし」
・主に対して忠実である分、嫉妬深い。


ムノ(26/男/183cm)
・エルシーの護衛にして従者。常に黒いスーツだが、そのままブーツ履いたり、マフラーを巻いたりとどこかカジュアル。
・対人戦闘、特に近接に長ける。狙撃も出来るが、どちらかといえば人の近くにいて護衛をする方が得意。
・「ファーム」出身者。「日記を書く」ことがバランス。
・黒髪、赤茶の目。顔つきはどこか穏やか。
・エルシーに対しては少し砕けた敬語。エーヌとは暴言を吐き合うが二人にとっては挨拶のようなもの。「俺」
・基本的には平和主義者で争う必要がなければ争いたくはない。ただし戦うならば一切容赦はしない。


エーヌ(26/女/172cm)
・エルシーの護衛にして従者。黒いパンツスーツだが、時々メイド服も着る。
・狙撃に長ける。また情報戦が得意で、完全な後衛タイプ。
・ファーム出身者。「日記を書く」ことがバランス。昔からムノとセットにされ、買われた後もムノとセットにされている。解せない。
・白髪に灰色の目。肌も白く、全体的に色素が薄い。顔つきは凛々しい。
・エルシーに対しては常に敬語。口調はさばさばしていて、女性らしい柔らかさはない。ムノとの暴言の吐き合いは日課。「私」
・与えられた仕事を淡々とこなす。物事の裏側を読もうとする癖がある。博識。


エルシー(10/女/140cm)
・ムノ、エーヌの主。広大な敷地を持つ屋敷に住むが、その屋敷と敷地の外に出ることが許されていない。
・プラチナブロンドの長髪、空色の目。ムノいわく、天使。
・かわいいもの、甘い物が好きで泣き虫、かつ好奇心旺盛。


ライラ(24/女/168cm)
・一般人。ごくごく普通に働いているが、アレクセイを拾ったことで何か気まずい空気が漂い始めている。
・特に変わったところのない口調。「わたし」
・人の好意に鈍感。そのくせ細かなところに気付く。人を褒めて伸ばすタイプ。


アレクセイ(14/男/160cm)
・ライラに拾われた少年。まだ成長期まっただ中。
・ファーム出身者。何でも出来るタイプ。バランスの取り方はまだ不明。
・少し長い黒髪をヘアゴムでまとめている。青い目。
・ほとんど表情が変わらない。誰に対しても敬語。その実、この中で一番腹黒い。「僕」



ハッシャ・バイ・ベイビィ

嵐の夜は子守で大変だ。窓を割らんばかりの勢いでたたきつけられる雨音を聞きながら、ベッドの上の白い塊を撫でる。シーツを頭からかぶりまん丸くなって震える子供は、雷が鳴るたびに小さく悲鳴を上げた。部屋の照明は既に消えている。もう、深夜と言っても良い時間帯だ。普段なら寝付いているはずの子供は、しかし、一晩中荒れ狂うであろう嵐に眠気を吹き飛ばされてしまったようだった。
 宥めるように、背中だろう部分を撫でる。照明は消え、窓はカーテンで閉め切られ、光はほとんど入ってこない。しばしば訪れる強烈な雷光がカーテンを透かして入り込むぐらいで、あとは暗闇だ。だがさすがに長時間過ごしていれば目も慣れてくる。ベッドの端に腰掛けながらムノは、シーツに隠れきれなかった長い髪の毛を認めた。もとより視力の良いムノには暗闇の中でも色の判別がおおよそながら出来る。普段ならば丁寧に梳かれたプラチナブロンドは、少女の動揺が反映されたようにぐしゃぐしゃだ。

「ムノォ」

 涙混じりの声が微かに聞こえた。はい、とあえていつも通りに答えれば、ムノの主人たる少女はもう一度、ムノ、と呼んだ。

「やだよぉ、あめ、やませてえ」
「それはさすがに、俺にも無理ですねえ」
「かみなりも、こわい」
「そうですね、でも大丈夫ですよ、エルシー」

 屋内にいる限り、雷が落ちてもよほどのことがなければ怪我はないし、強烈な嵐といえどもこの館の窓や壁を破ることはないだろう。瀟洒な造りの屋敷は、見た目以上に頑丈であることをムノは知っている。それを論理立てて少女に伝えようとは思わなかったが、何かしら安心させるような言葉をかけなければ、きっと少女は泣き止まない。子守は得意ではないのだが、とムノはひっそりと苦笑した。そもそも彼はベビー・シッターや執事ではない。本来の職務も科せられているとはいえ、ここ数年は幼い主の世話役ばかりが、まるでムノの役目のようだった。この泣き虫な主の元へ共にやってきた、ムノの相棒の方がむしろ似合っているだろうに、彼女は常ににっこり笑って世話役をムノに押しつける。きっと今頃私室で日記でも書いているのだろう。あるいは一人楽しく酒の一杯でもやっているのかもしれない。
 明日の朝は相棒に嫌みの一言ぐらい言ってやろうと決心しつつ、ムノはぐしゃぐしゃの髪の毛を手櫛で整えた。

「明日には止んでますよ、この嵐。そうしたら良い天気でしょうから、外でお茶でも飲みましょう」
「はれる?」
「晴れます」
「ほんと?」
「本当です」

 そっとシーツをめくると、暗い中でもはっきりと分かる空色の瞳が、涙を溢れさせながらムノを見ていた。まだ幼い白い頬は涙で濡れ、泣きすぎたのだろう目元と鼻が赤かった。

「ですから、今日はもう寝ましょう。怖いのなら、俺が一緒にいますよ」
「ほんと?」
「本当です」

 何の前触れもなく光った雷に、少女はきゃっと短く叫んで体を硬くしたが、目の前のムノがまったく動じていなかったことにいくらかの安堵を抱いたらしい。おそるおそるといった体で顔をシーツから出した。
 あとはいつも通りだ。軽い主の体を持ち上げ、広いベッドの足下から枕元に移し、ブランケットを優しくかける。いつもと違うのは、その枕元にムノが座ることだ。少女のまろい手がムノの袖を強く握りしめる。泣き止んではいるが、まだ泣いていた余韻が残っているのか、少女の目は潤んでいた。
 空いた手で少女の頭を撫でる。

「ほら、ずっとここにいますよ、俺は」
「うん」
「さあ目を閉じて。外は少しうるさいですけど、大丈夫、起きた頃には止んでいます」

 素直に目を閉じた少女は、やはりムノの袖を握りしめたままだった。せっかく仕立て直した衣服だが、ともう一度、一人苦笑する。ついでに自室に戻って日記を書くことも酒を飲むことも出来ないが、たかだか一晩座っているだけなのだから、今までの仕事に比べればずいぶんと楽な話だ。数年前、この屋敷に来る前にはあるとも思えなかった安穏とした日々を送っている。はたして己はいざというとき、本来の職務を果たすことが出来るのかという危惧を抱くほど、この屋敷と敷地内は平和だ。暴力に慣れたムノや相棒のような存在が異質なほど、そしてその異質な者を受け入れてしまうほどに。その平和が油断を生み出すのだと思うと、ムノは何よりも悲しい。
 スーツの内側では、人を殺すための道具が、ムノの手の中で振るわれる時を待っている。

「おやすみ、ムノ」

 緊張が緩み、眠気が訪れたのだろう、少女が舌っ足らずに呟いた。手触りの良いプラチナブロンドを撫で、ドア越しの廊下に、あるいはカーテンの裏の窓に、少女の命を狙う者の音が聞こえないか確かめる。今まで何度も繰り返した動作を、今日もまた繰り返す。
 そうしてやっと、少女が眠りに落ちる寸前に、ムノも呟いた。

「おやすみなさい、エルシー」



・エルシー……箱庭の主
・ムノ……箱庭の主の従者その1
・相棒……箱庭の主の従者その2

双子の話

――私がお仕えしたその一族の、最後の二人の話をしようと思う。
 雪が降り、積もり、がたがたと風が雪の礫を壁に窓にぶつける冬の季節が、この二人にはよく似合う。それは私が、この二人を最後に見たのがこの季節だったからかもしれないし、そもそもこの土地は厳冬ばかりが印象深いからかもしれない。外が吹雪の昼下がり、暖炉で火が爆ぜる音を聞きながら、向かい合った二人が真剣な顔でチェスをしている。そんな光景をよく覚えている。どちらが白を、どちらが黒を使うか、というのは幼い頃から決まっていた。勝ち負けはおかしいほど同率で、結局彼らのチェスは最後まで、同じスコアを刻んでいた。
 そう、よく似ている双子だったのだ。けれど似ているようで似ていないところもあった。容姿は見間違えるほどではないにせよ、緩やかなウェーブを描く黒髪や白い肌、整った顔立ちが、やはり双子だけあって似通ってはいた。それでいて性格は正反対で、兄は悪戯っ子、弟は引っ込み思案、兄が外で遊びたいと言えば、弟は部屋で本を読みたいと言い出す、内面は似ていない二人だった。だが仲は不思議と悪くなく、最終的には兄が弟の手を引っ張って外に繰り出すか、弟につきあって部屋で一緒に過ごすかで、喧嘩しているところはほとんど見なかったと思う。
 悪戯っ子と言っても兄はたいそう賢い子だったし、弟も語学だろうが剣術だろうがなんでもそつなくこなす子だった。顔立ちも幼い頃から人目を引くもので、この双子の成長が楽しみだ、と誰もが皆羨みそして祝福した。周囲の期待を理解してか、二人は共によく学んだし、これなら一族の今後も安泰だと口々に言葉にした。親のみならず一族や、私のような使用人にさえ多くの期待を背負わされながら、けれど双子は屈託なく笑い、寄り添っていた。
 兄が悪戯をして怒られれば弟は一緒になって謝り、弟が泣き出せば兄は優しい声で慰めた。悪戯めいた笑みを浮かべる兄と、困ったように微笑む弟。二人が揃うだけで満ち足りているかのようだった。テーブルで向かい合い、チェスを打ち、あるいは本を広げ、あるいは熱い茶をふうふうと息をかけながら口にする。焼きたてのクッキーを頬張り、無邪気な表情を浮かべる二人は、本当に、幸せそうだった。

 それが崩壊したのは、彼らが10歳を迎えた年の、やはり冬だった。

 白く広がった雪の庭の、冷たい朝だった。澄んだ空気がきらきらと朝日に輝き、吐く息すらも凍っていくような景色の中に彼は横たわり、彼は立っていた。
 横たわった彼の、兄の周囲には雪を溶かすように赤い液体が流れていた。それが兄の体から溢れたものだと遅れて気付いた。散らばった赤い血は毒々しく、だというのに雪の色とのコントラストがまるで芸術品のようで、私のみならず、駆けつけた使用人達の目を奪った。夜着に覆われた胸に深々と突き刺さった刃の反射、その角度さえも美しかった。散らばった黒髪も、赤く染まった雪も、そして白い庭も、この世の物とは思えない、未だかつて見たことのない至高の芸術なのではないかと、私は感嘆の吐息を零しそうにすらなっていた。

「――にいさん」

 そして、横に立っていた彼は、弟は。
 伸びた前髪の一房が青ざめた頬を撫でて落ちる。寒さ故か、それとももっと別の理由か、彼のまだ幼い顔はまるで死人のようだった。困ったように微笑む、あの子供の顔ではなかった。悲哀、憤怒、後悔、憎悪。そのどれとも違う、いや、それらすべてが混ざった、諦念ともとれる表情は年齢とは不釣り合いで、たった一晩にして彼は、別人になったかのようだった。

「――だめだよ」

 泣きそうな弟をあやすように、優しく言葉をかけるのはいつも兄だった。そしてそれは、赤い血に塗れた庭でもそうだった。

「だめだよ、こんなんじゃあ」

 胸に剣を突き立てられ、血を流し、それでもなお、兄は笑っていた。あの悪戯めいた、少年の顔で。

「こんなんじゃあ、僕はまだ殺せないよ」

 ――私がお仕えしたその一族の、最後の二人の話。死を知らない兄と、唯一死を教えることの出来る弟の話。よく似ているようで、その実まったく似ていなかった双子は、互いに殺すことが、そう、生まれたときから決まっていた。
 横たわった兄は愛おしげに、己に刺さった剣を指の腹で撫でた。弟は顔を歪めたが、結局泣くことはなく、兄の血で汚れた手を強く握りしめただけだった。兄の口から零れた血はまだ赤く、弟の吐く息は白く、厳冬の、何もかもを凍てつかせる朝の空気は錆びた鉄のにおいで満ちていた。