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bernadette

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逃避行未満

親を殺したその日、家にプリントを届けに来たクラスメイトに、私はすべてを打ち明けた。
 髪をそれとなく茶色に染めて、化粧品で上手に色を付けたクラスメイトは、私の唐突な言葉に、大きな目をぱちりと瞬きさせた。黒く長い睫毛とグラデーションの瞼が印象的な瞬きだった。

「殺した? 親を?」
「……うん」
「じゃあ、家の中に、その、親の死体があるってこと?」

 親の死体を、のところを小声にして聞いてきたので、私は神妙な顔で頷いた。
 なんだかもう、どうでも良かったのだ。本当に、もう、どうにでもなってくれれば良いという気分だった。親を殺したのは深夜の2時頃で、クラスメイトがやってきたのは午後の4時だから、ゆうに14時間は経っている。それだけの時間が経ってしまったから、人を殺した瞬間の興奮や、その直後の後悔も何もかも、私は噛み砕いて呑みこんでしまっていた。後に残るのは無気力だ。私の部屋のベッドで無残に死んでいる親から目を逸らそうが眺めようが、死体は死体のまま、何も変わらない。そうと気付いてしまえば、自分の衝動任せの行為を隠すのは無意味だという諦めはすぐに生まれてきた。
 そういうわけで、クラスメイトに警察を呼ばれても良かったし、恐怖に悲鳴を上げられても良かった。そういう諦めだった。
 ところがクラスメイトは、頷いた私をじっと見て、そのまま黙り込んでしまった。予想外の反応に、声を掛けようか、どうしようか、と少し悩む。とはいえ、かける言葉は特になかった。仕方なく一緒になって黙り込んでいると、クラスメイトはそれまでの沈黙がなかったかのように、いつも通り、プリントを届けに来たと言う時の声色で提案してきた。

「じゃあさ、京都に行こうよ。旅行」

 今度は私が黙り込む番だったが、結局それも長く続かず、私はなんとなく、神妙な顔で頷いた。


※少女と少女の逃避行にもならない京都旅行。
※少女A…親を殺した。外見が地味。少女B…化粧も髪染めも悪いこともする。


1)京都旅行準備編
・貯金額の確認と、いったん家に帰って荷物詰めてくる
・服、地味なのしかないなら貸してあげる
・せっかくだから化粧をする
・初めて新幹線の切符を買う
・二人並んで京都行の新幹線に乗る

2)京都到着編
・着いたら深夜だけど泊まるところがない
・Bが途中からずっと携帯をいじっていた
・ついてきて、というからついていったら、ラブホテルだった
・泊まるだけならいけるいける、とのこと
・その晩は一つのベッドに二人並んで寝ることにした
・どうしても眠れなくて、一人、床に転がって寝る

3)旅行の朝編
・なんで床で寝てるの、という笑いから始まる
・ホテルを出て、適当な喫茶店に入って行き先を決める
・ところでなんで京都旅行なのか

4)旅行の昼編
・嵐山

5)旅行の夜編
・今度はきちんとホテル(ビジネスホテル)をとる
・ツインルームなのでベッドは別々
・ホテルは2泊とった
・Bが携帯の電源を切る
・Aは携帯を持っていないので、これ以降は観光マップ頼り

6)二日目の朝編
・行き先はあっさり決まったので、二人並んで宿を出る
・伏見稲荷に朝から行く
・鳥居をくぐっていく時の不安
・山登り
・実を言えば、私、

7)二日目の昼編
・清水寺
・舞台の上から景色を眺める
・観光客の声を聴きながら、二人で並んで、こそこそと内緒話

8)二日目の夜編
・その日は一つのベッドに入って、抱き合って眠った

9)三日目の朝編
・荷物はすべてコインロッカーに預けてきた
・どこに行こう
・どこでも良いよ


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バグ

 人にはきっと、ラベルが必要だ。個人名だとか外見の特徴だとか、そういうものではなく、どんな集団に所属している存在なのか、どの集団がその人の基準になっているのか、という、ラベルが必要だ。たとえばサラリーマンだとか。たとえば電車の乗客だとか。そういう、曖昧で、意味が広くて、でも確かに、その集団の構成員なんだと分かるような、そういうラベルが。
 わたしにはすでにラベルが貼られている。いわく、「女子高生」。ちょっと短いスカートに、背伸びしたような化粧品とかわいらしい持ち物を持った、女子高生というラベルが、きっと、わたしの全身には貼られている。視界を邪魔しない程度に隙間なく貼られたわたしのラベルは標準的だ。どこもおかしくない。人混みに紛れてそのまま大きな事故に巻き込まれてあっけなく死んでしまうような、映画のエキストラのような、風景の一部だ。それが、わたしが愛してやまないラベルのはずだった。
 それを剥がそうとする手を、わたしは許さない。そんな話をしたときに、男が真っ先に発した言葉は「馬鹿だな」という一言だった。

「いずれお前もこうなるよ」

 疲れ切った顔をした男はそう言って、いやらしく笑ってみせた。わたしが一番いやな顔だ。ひたすらにもがく人間を、何もかも知っているような目であざ笑う。馬鹿だ、無駄だ、滑稽だ、とわたしを否定する言葉が銃弾になってその辺りを飛び交うのだ。
 いずれそうなる? どうなるというの? わたしも、あなたのように、あなたたちのように、諦めきった顔で全部受け入れて、通り過ぎる人たちをただ黙って眺め続けるような、そんなものになるというの?

「いやだ」

 そんなものにはなりたくない。血を吐きながら首を横に振ると、視界の端に奇妙に折れ曲がった白い手足が見えた。体中が痛い。そして熱い。さらに目を遠くへ凝らすと、見慣れたスクールバッグが中身を吐き出して転がっているのも見えた。お気に入りだったティント・リップや香水は、車とぶつかった衝撃で割れてしまったに違いない。

「いやだって言ったっておまえ、本当に、馬鹿だな」

 人の声が聞こえる。おい大丈夫か、これはもうダメだ、車のナンバーは、しっかりしろ、救急車を、いや警察だ、誰か、誰か、誰か。男も、女も、年齢もばらばらの人たちが必死な顔でわたしの周りでざわめいている。
 死にたくないなあ、と思う。そう思ったのが分かったかのように、やっぱり男は笑うのだ。人混みの中、私を助けようと必死な人たちに紛れて、でも誰にも気付かれないまま。

「そんなになっても死なないんじゃあさ、何やったって無駄だよ」

 誰も彼もが、男の方など見向きもしない。うすら笑った顔色の悪い男など、この世界に存在しないのだと言うかのように。
 向こう側からサイレンが聞こえる。救急車がきた、もう大丈夫、あと少しがんばるんだ、必ず助かるよ、そんな慰めの言葉が私に降り注ぐ。言っている人々は誰も、それが真実だと思っていない。分かっていながら嘘をつく。大きなトラックにひき逃げされた哀れな女子高生はもう助からないと、分かっていながら希望を吐き出す。沈痛な顔。今まで何度も見てきた、何度も繰り返してきた光景だ。彼らは何も知らないから、そんなことを言えるのだ。
 死にたくない、と必死に呟けば、やっぱり口から血が溢れてきた。一番近くにいた男の人が悔しそうに顔を歪めて、必死に涙を堪えていた。三文芝居だな、と嘲る声は聞こえなかったことにした。
 救急車に乗せられたわたしを追うように、男はあっさりと同乗してきた。救急隊員はやっぱり男の存在など知らない風に動いて、わたしに声をかけ続ける。その目にも諦めが浮かんでいるのが分かって、だったら最初から無駄なことなどしなければいいのに、と思った。死ぬって最初から決まっているのなら、下手な慰めなんてむしろ残酷だ。その残酷さが刃となって、わたしの心をずたずたにしていく。
 何度繰り返したって痛いのはいやだし、死ぬのは怖い。死にたくない。わたしはいつだって、恐怖に押しつぶされそうだ。何をどうやったって死なないと分かっていても、それを証明したくて仕方がないし、それが正しいんだって証明されたところでわたしの死への恐怖は変わらない。むしろ証明されればされるほど、わたしは死ねないのだという事実が圧倒的な絶望感となって体を蝕んでいく。
 おまえはバグだよ、と男は言った。この世界に存在する無数のバグのうちの一つだよ、と。おれが誰にも見えないのと同じように、だんだん、だんだん、普通の人間の中から弾かれていくんだ。
 いやだ。わたしはならない。そんなおぞましいものにはならない。わたしはこの世界のバグなんかじゃない。わたしは普通の、ただ死ぬことが怖いだけの、ふつうの女子高生だ。体中にべたべた貼り付けたラベルをこれ見よがしに提示して、わたしは普通の人間として振る舞うのだ。ああ、けれど、こんな怪我をして、こんなに汚れているんじゃ、この制服はもう着られない。アスファルトで擦ってしまった短めのスカートも、道端で死んだスクールバッグも、もうわたしを守ってくれない。ラベルを、貼り直さなければいけない。
 かわいそうに、と疲れ切った顔で男は言う。そんなこと、これっぽっちも思っていないくせに。

いずれ死にゆく世界

実はちゃんと作ってるんだけど、それに関する話をほとんど書いていないから分からない世界観の説明をどこかでするべきだと思ったので、覚え書き程度に書いておく。

・とある病から滅んでいく世界

現代から地続きの世界観。

①遺伝子操作により、産まれてくる子供の容姿を選べるようになった時代。
②睡眠時間が長くなり、やがて死んでいく「死眠病」が蔓延し始める。「世界の果ては青色をしている」はこの世界の初期段階。

□死眠病
睡眠時間が長くなる。ナルコレプシーのように、日常生活の中で急激な眠気に襲われてそのまま眠ってしまう、というのが初期症状。ナルコレプシーと違うのは、その後は徐々に睡眠時間が長くなり、起きている時間が極端に短くなる。段階が進むごとに身体機能の低下が起こる。難聴や幻聴、幻覚という症状も見られる。最終的には眠ったまま体が機能を停止していき、死に至る。原因不明。罹患者は遅かれ早かれ眠り続けるようになる。

③それとほぼ同時期に「羽化」という現象が世界各地で見られるようになる。羽化は基本的に第二次性徴を迎える前の子供に起こり、その名の通り、背中に翼が生えることから羽化した子供を「天使」と呼ばれることがある。

□羽化
第二次性徴を迎える前の子供を中心に起こる現象。背中から白い翼が生える。背中の違和感や発熱、倦怠感が主な症状。原因不明。遺伝子の問題とも言われているが、世界各国、人種の区別なく起きる現象のため、結局解決策は何も見つからなかった。
なお、羽化した子供は成長=老化が極端に遅くなるほか、背中に異物があるという状況から日常生活を送ることがきわめて困難。事態を重く見た各国の働きかけによって、羽化した子供を収容する施設が建てられる。この翼では飛ぶことは出来ず、ただのお飾りと言って良い。

④羽化した子供たちを「天使」として崇拝する宗教団体が現れ始める。死眠病は、生まれる命に手を加えた人間への神からの制裁であり、新しい人類として天使を遣わしているのだ、という教義。次第に受け入れられ始め、一つの都市を作るほどになる。

□宗教団体
羽化した子供たちを収容していた施設が立ち行かなくなり始めると、それに代わって羽化した子供たちを集め、独自の施設に迎えるようになる。子供たちは天使と呼ばれることになるが、実際は研究対象であり、洗脳によって都合の良い偶像あるいはモルモットとして生きることになる。
団体の最終目標としては天使になることがあげられる。そのために羽化した子供たちの研究が進められている。

⑤死眠病患者の冷凍保存が行われるようになる。

⑥宗教団体の企みにより文明が崩壊し始める。国家の崩壊。都市という形で残るか、そもそも滅びるか。

⑦数百年単位が経ち、それなりに平和にはなるが、天使は一つの種族として存続し、都市を形成している。各地に都市国家が点在し、それなりに人間が生きている。死眠病は発病者は減っているものの、未だ蔓延している。現在の拍手ページに載せている話の世界観はこの時点。

以上。いつかちゃんと書きたい。

7月29日午前11時28分

 7月29日の、午前11時28分。田舎によくある無人駅の、上り線のホーム。いつの頃からかは知らないが、必ずその日、その時間に、立ち尽くす男がいるという。
 白いシャツ、黒いスラックス、黒い革靴。手には花束を持ち、時間を気にした風に、こじゃれた腕時計を何度となく見る。整えられた黒髪に、まだ若い顔立ちの、男がそこに立っている。
 私の視線に気付いた風に、俯き加減だった男がふと顔を上げたかと思うと、その黒い目でこちらを見た。この暑い中汗の一つもかかぬ、真白い顔だった。

「やあ、今年も会ったな。相変わらずの顔だ」

 にっこり笑った男はまるで、昨日ぶりに会った友人に話しかけるような気軽さで私に声を掛ける。私は無言のまま小さく会釈し、男から少し距離をあけて同じように立ち尽くす。今年もまた会った。一年ぶりに顔を合わせた男は去年とまったく変わらぬ様子で、次にくるであろう電車を今か今かと待っていた。
 電車はきっかり10分後、11時38分にくる。この男は律儀なようで、必ず10分前にこのホームに来る。赤い、気障ったれたバラの花束を持った男は、不安と緊張と期待の入り交じった顔で、電車を待つ。

「しかし君も物好きだなあ。去年も、一昨年も、その前の年もそうだった。君もおれと同じように、誰かを待っているのかい」

 ええ、まあ、と濁しておく。毎年のことだ。7月29日の、午前11時28分。その瞬間を待って、私はこの無人駅の上り線のホームに足を踏み入れる。男の黒い目は私をじっと見つめていた。それを感じながら、私は黙って線路を睨みつける。祖母譲りだという切れ長の目は、鋭さを増していることだろう。それもまた、毎年のことだ。すべて、すべて、毎年のことだ。
 男が誰かを待っているというのならば、私もまた、待っているのだろう。ただしそれは人ではない。何かの事象、現象、あるいは遠い昔の約束が、姿形を持って現れるのを待っている。それを男に話したところで、特に何の意味もない。理解されようとも思わない。説明する気はさらさらなく、それ故に私は黙り込む。男の発した言葉にはそれよりも少ない言葉で返し、時には沈黙でもって答える。何年も続いた言葉の投げかけと沈黙は、男と私の間に、どんな親愛も関係性も生むことはなかった。誰かを待つ男と、何かを待つ私。二つの存在が7月29日、午前11時28分に、とある田舎の無人駅、上り線のホームで出会う、ただそれだけの事実が並んでいるという光景がすべてだった。
 男が黙れば、必然、そこには静寂ばかりが座り込む。遠くで蝉が鳴く声も、風が緑の葉を揺らす柔らかな音色も、昼食を作る生活の吐息も、聞こえながらも静寂に呑み込まれる。
 そうしている間に各駅停車の上り電車はやってくる。線路の向こうにゆらゆら揺れながら走ってくる電車に、男は俯かせていた顔を上げ、そこに期待と不安を滲ませる。かさかさと、透明なセロハンで包まれた花束が音を立てた。赤いバラの花びらが一枚、ひらりとホームへと落ちたのが見えた。
 電車は私や男の思いなど知る由もなく、いつものルーチンワークをこなす。風を呼びながら走り抜け、ブレーキをかけ、決まった場所で停車する。田舎の電車のドアは自動では開かない。内側か外側のボタンを押して、降りる人、乗る人が、自分から開けるものだ。男はじっと、2両しかない電車を見つめていた。誰かが降りてくるのを待つかのように。誰かが、内側のボタンを押して、電車からホームへ足をそっと降ろすのを見逃さんと言わんばかりに。
 だが、電車のドアはどれも開くことはなく、何事もなく轟音を立てながら走り去っていった。夏の熱い空気を巻き上げ電車はあっという間に小さくなっていく。見えなくなるまで目で追いかけていると、少し離れた先に立っていた男が、ふ、と軽いため息をついたのが分かった。

「……ああ、そうだよなあ」
「……」
「そうだ、それで良いんだ。ああ」

 花束を持った手をだらりと垂れ、男は空を仰ぐ。ホームを覆う屋根の向こう側は、目が眩むほどの晴天だった。

「良かった、今年も君は、来なかったんだな、ミツ」

 喉を反らして空を見上げる男の横顔に、安堵とも失望ともとれる笑みが浮かぶ。満足げな声色は、予定調和を見守る者のそれだった。11時38分着の電車が無事過ぎ去った。それはつまり、男の目的の一つの達成なのだ。
 間抜けなほどに上を向いていた男が、ぐるりと勢いよくこちらへ顔を向けた。黒い目にはぎらぎらとした光が宿り、この暑さに一筋の汗もかかない白い頬は、誰かに語りたくて語りたくて仕方ないという思いを男の周りに散らしている。沈黙を貫く私に、男はさながら機関銃のような勢いで言葉を連ねた。

「今年もミツは来なかった。おれの恋人、いや、愛人、いや、おれの思い人。ミツ。ミツは来なかったんだ」
「……」
「ああ、去年も言ったな君に。君に似た、涼しげな目元のひとなんだ、ミツは。いつもぬばたまの黒髪をひとつにひっつめて、古くさい色の着物を着た、料理の上手い女なんだ」
「……」
「君の目は本当によく似ている。おれがいくら愛を告げても、体に触れても、ミツはその目で俺を見るだけなんだ。一度としてあいつからおれに触ってはくれなかった」
「……」
「もの静かな女でな、自分の縁談が持ち込まれたときだってその鉄面皮を少しも動かさなかった。おれは何度も言ったのに。それは幸せになれないって。そんな結婚はミツの幸せにならないって言ったのに、あいつは泣きも笑いもしなかったんだ。知っていますって、それだけ言ってさ」
「……」
「だから、一緒に、誰も知らない土地に逃げて幸せに暮らそうと一端だ。7月の29日の、11時28分の上り線、そこで待っているから来てくれと言ったんだ。そうしたら一緒に乗ってどこまでも逃げようと。だが、来なかった」
「……」
「そうだよな、ミツ、お前は来ないんだ。どんなにお前がおれのことを愛していても、こんな軟派な男のことを愛していても、お前はおれと一緒には来ないって。おれがどれだけお前のことを好きだって分かっていても、お前は絶対に、おれの思いを受け取ってはくれないって」
「……」
「そういう女なんだ。あいつは。ああ、ああ、良かった、今年もおれの元へは来なかった。そうだ、おまえはそうじゃなきゃ。ミツ。ミツ。おれの思い人。美しい女。おれへの愛を抱えながら、一度もおれに靡かなかった女。おれの元に来ない、それこそが、おまえの愛情なんだ」

 もはや男は私には言葉を語っていない。男は、男自身に語り聞かせているのだ。端から見れば、己を納得させようとしているような姿だろう。狂人じみた語り口に、ぎらぎらと凶暴な光をちらつかせた目が、男が正気の沙汰ではないと告げている。私はただ、少し離れたところに立ち尽くし、男を見ていた。
 男は人を待っているという。それは確かに真実だろう。だが、回答で言えば半分しかあっていない。男は、誰かを待ちながらも、その誰かが来ないことを確かめるために待っている。分かり切った答えが分かり切った結果になることを知るために、何度も何度も何度も何度も、同じ日の同じ時間に同じ場所にやってくる。男の予想は的中し、それこそが正しい世の摂理だと満足げに頷くかのように、男は待ち人が来ないという事実を確かめ続ける。
 男が、抱えていた花束を地面に振りかざし、力を込めて叩きつける。セロハンが豪快な悲鳴を上げ、瑞々しい花がつぶれる生々しい音がした。男が花束を、よく磨かれた革靴の底で踏みつけたのだ。バラは踏まれれば踏まれるほど強く香る。踏みにじりながら男は何事かを唱えていた。その一つ一つを耳に入れるだけの興味はなく、私は淡々と、男が奇行に走るのを眺めていた。

「……あんた、いつになったら成仏するんです?」

 これも、毎年のことだ。私の不意の一言に、男は電池が切れたかのように花束を踏みつけるのも、ぶつぶつ何事かを呟くのも止めた。狂気を浮かばせた表情から一点、その顔には穏やかさが広がっていた。緩やかに死にゆく人の、諦めの混ざった、優しい笑みだった。

「いつまででも。ミツが来ないことが分かる、そのときまで」

 男は知らない。男が愛した女はやがて子をもうけ、孫の手を引いてこの駅まで、かつて愛した男を弔いに来ていたことを。
 男は知らない。男が愛した女はいつの日か、男が待ちかまえる駅の手前で、男が待ちかまえる電車に轢かれて死んだことを。
 それは男への贖罪だったのかもしれないし、彼女なりの矜持の示し方だったのかもしれない。たとえどれだけ愛した男だろうと、お前のところには行かないと、お前の手を取りすべてを捨てて逃げるような惰弱な真似はしないという、決意の表れだったのかもしれない。いずれにせよ、男の待ち人は二度と、この駅には来ない。ましてや、電車に乗って男を迎えに来ることなど。
 いつの間にか、男は消えていた。そこには落ちたバラの花束も、散った花びらのひとひらも、残されてはいなかった。
 愚かな男だと、私は毎年のように思う。なんて愚かなのだろうと、笑いすら出てこない。そんなにも愛しているならば、迎えに行ってやれば良かったのに。無理矢理にでも連れ去って、そうしてどこまででも、逃げていけば良かったのに。結局最後まで待つことしかできなかった男は、ただ、それまでの存在だったのだ。だからこそこうして何十年も同じことを繰り返している。愛した女がいつまで経っても己の元へやってこないと言う事実に、わずかながらの愛情を見いだしては縋る。男の中の、ミツという女の偶像に縋り続ける。どれだけ愛を告げてもそれに答えず、己を愛していながらも一度として自分から男に触れることの無かった、目元の涼やかな黒髪の乙女という偶像に。
 男はもはや、ミツと呼ぶ女の姿も思い出せていないだろう。私はただ、祖母譲りだと言う切れ長の目をこする。夏の幻はあっという間に消え去り、向こうのホームでは次の電車が来るというアナウンスが響く。これで終わりだ。私の今年の役割は、これで終わる。

 そうして私は花束を握りしめたまま上り線のホームを出る。下り線の電車の到着は近い。

プライベート・ミュージアムにて4

<黒崎>
・17~○歳。基本的に高校生のイメージ。
・館長へはわざと砕けた敬語を使う。
・「俺」「あんた」「お前」「君」
・髪の毛が生まれつき赤い。目は黒系。身長はそれなりにある。数学が苦手。得意科目は英語と国語。
・10~16歳の間に、一年ほどイギリスにいた。英語が得意なのはそれが原因。
・特定の話題に対して「おかしい」人間になる。
・友人に対して気遣いは出来る。だがそれが本当に気遣いかというと微妙。彼の言う友人は、ただの「道具」あるいは「同類」かもしれない。
・わりと大食い。金魚すくいが得意。
・別の黒崎くんと違って人脈が広いわけではない。怪奇系の人脈は広い。
・だからといって見えているわけではない。誰にでも見えるくらい強い怪異は見える程度。強いて言うなら、怪異の側から嫌われる体質ではある。
・勘が良い。

<館長>
・朽木美術館(プライベート・ミュージアム)の館長。
・金持ち。とりあえず金持ち。使っても使ってもなくならない財の持ち主ではないかと黒崎に思われているし、本人はそれを否定しない。
・人と会うときに名乗る名前は毎回違う。話を合わせるために同じ名前を使うことはあるが、事件一件ごとに名前が違うイメージ。たいていの人間はそれに気付かない。勘が良い人は気付く。朽木とは絶対に名乗らない。
・「私」「お前」
・40代前後。おそらく欧米系の血が混ざっている。背が高い。彫りが深め。青い目。良い男。大体いつもスーツ。
・ありあまる財を使って変なものを集めるのが趣味。
・落ち着いた性格と見せかけて、わりとお茶目な反応をしたりする。
・黒崎の事情は大体知っている。
・物に対してある程度の執着を持っている。展示物の入れ替えは館長と黒崎が手分けして行う。
・やたらとグルメ。下手なお菓子とか食べない。コーヒーや紅茶を淹れるのは得意。そしてそれを人に振る舞うのも得意。
・基本的に黒崎のことは使いっぱしり‌みたいに扱っている。
・怪異を外側から観察する人。


<お嬢さん>
・館長を「おじさま」と呼び慕う少女。黒崎とは違う高校の子。どこかのお嬢様学校。
・ツインテールが似合う小柄な子。フランス人形みたいだ、という印象。館長とはおそらく血が繋がっていて、こちらの方が欧米系の血が濃い。
・展示物についてはまったく興味がなく、ひたすらおじさまに会いにくるだけ。怪異にいろんな意味で嫌われるタイプ。歩く盛塩、みたいな。
・「あたし」「あなた」
・黒崎との仲は微妙。
・料理は苦手。手先は器用ではない。ただし化粧や着飾ることについては得意。
・世の中そういう人間がいるのね、で大体終わる。
・この美術館唯一の清涼剤的役割。館長もお嬢さんの前では形無し。