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bernadette

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私と弟

1.弟

  思えば私は幼いころ、「してはいけない」を言われたことをこっそりやってしまうような子だった。たとえば、「お客様に出すためのお菓子だから食べちゃダメ」と母親に言われた上生菓子をこっそりつまみ食いしたり。「剥がしちゃならんよ」と祖父に言われた屋根裏のお札をこっそり剥がしたり。「手が汚れるから触るなよ」と父親に言われたペンキ塗りたての屋根の端をこっそり触ったり。そういうことばかりしている子供だった。
 それがふとなりを潜めたのは、弟の存在だった。
 ある日、弟はいた。母親の腹から生まれてきたわけではない。かといってどこかから連れてきたわけでもない。本当に、弟がいた。私より一歳年下の、美しいという言葉がかすむほど美しく、人の目を魅了し、完璧な弟が、私の隣の部屋から現れて、「姉さん、おはよう」と蕩けるような笑みを浮かべて現れた。空き部屋だったそこにはベッドや机やクローゼットが置かれ、少年は私が通う学校指定のカバンを持っていた。おはよう、と私は返したように思う。ひどく不思議なことだった。頭の中は混乱していたのに、私はその混乱をよそに、弟と一緒に階段を降り、家族におはようとあいさつをし、二人並んで朝食を食べ、彼の手を引いて登校した。弟は気まぐれで、私が手を引かなければふらふらとどこかに行ってしまう子だったからだ。そう、彼は気まぐれで、方向音痴で、甘えたで、少しいたずらっ子だった。そのくせ怒られるときはその美しい顔を悲しげに伏せるものだから、だれもかれもこの少年に強く出ることができなかった。彼を怒るも、彼を探すのも、彼の手を引いてどこかに行くのも私の役目だった。そういうことを知っていた。昨日まで、私はひとりっこだったはずなのに。
 弟が現れてから、私はそういう、「してはいけないこと」をこっそりやってしまうような癖がなくなった。そんなことより、手のかかる弟の面倒を見る方が大変だったし、楽しかったからだ。家族も先生もクラスメイト達も、一つ年下の弟が、最初からいたかのように振る舞った。だから私もそういうことにした。恐ろしかったからだ。弟は昨日までいなかった、と口に出した瞬間、きっと私はこの世から弾き飛ばされてしまうと、幼いながらに恐怖を感じたのだ。
 弟はおっとりと笑った。ねえさん、と、甘えるような声で私を呼んだ。なあに、と私は答えた。私にも父にも母にも祖父にも似ていない、誰よりもかわいらしく美しい、弟を見つめながら。


2.箱

 その日、夏用のセーラー服を着た私と、白い半袖のシャツを着た弟は、一緒に手をつないで学校近くの和菓子屋さんに入った。お目当てはかき氷だった。和菓子屋さんは私たちが通う中学校にほど近かったけれど、十代前半の子供たちが入るには少し敷居が高いように見えて、店にはいつ来ても私たちと同年代の子はいなかった。和菓子屋さんのお菓子やかき氷はもちろんおいしかったけれど、やはり、同年代の顔見知り達がいないことの気楽さが、私たち姉弟をこの店の常連にさせたと言っても良い。
 弟はメニューを見ながら、ううん、と小さく唸った。相変わらず整った顔立ちに、一筋汗が伝っていた。それをハンカチで拭ってやる。私は決めたよ、と、梅シロップ味のかき氷を指さすと、弟はもうちょっと待って、とやはり小さく呟いた。
 弟が悩んでいる間、私は店の中に置いてあった寄木細工の箱を手に取った。この店には客が遊べるように、寄木細工のパズルの箱をたくさん置いてあった。一見開けるところがないように見える箱だが、よく見るとちゃんと隙間があったり内側に押すことができたりして、正しい手順で操作するとちゃんと開くようになっている。もちろん中身は空だ。だが難攻不落な箱を開けるのは存外楽しく、注文の品が来るまでの手慰みにちょうど良かった。箱はいつの間にかラインナップが変わっていて、週一回は来ているような私たちでも見覚えのない箱が、来るたびに必ずあった。弟は悩み始めると長い。だからそれを待つ間、寄木細工の箱を開けるのにチャレンジするのが私の常だった。
 私の目を引いたのは、真っ黒な箱だった。寄木細工であることに変わりはないが、それにしたって黒かった。同じような大きさの箱に比べると少し重く、見覚えのないそれは店主が新しく仕入れたものだったのだろう。今日はこれを開けようと決めた私は、箱を片手に席に戻った。弟はちらりと私を見、箱を見、ふうん、と少しだけ不機嫌そうな声を上げ、またメニューに目を戻した。
 箱を開けようとした私は、すぐにそれを諦める羽目になった。箱のどこにも、パーツをスライドさせる隙間も、押せるようなところも、見つけられなかったのだ。
「姉さん」
 決まった、と弟は微笑みながらメニューを私の目の前に差し出した。宇治抹茶。高いやつだ。まだ中学生の私たちはひと月三千円しかお小遣いをもらえないというのにこの弟は! と少し呆れてしまった私は、手にしていた寄木細工の箱をテーブルの端に置き、これみよがしにため息をついた。
「ちゃんと自分で支払うんだよ」
「うん」
 素直に頷いた弟に、本当にだよ、と念を押して注文した。梅シロップと宇治抹茶。注文を聞いたお店のおばさんはほほえましそうに私たちを見ていた。
 あとは注文の品が来るのを待つだけだったので、もう一度箱に挑戦しようとした私の目の前から、弟が箱を奪った。しなやかで、それでいて男性らしい硬い骨が浮いて見える手が、黒塗りの箱を軽やかに取り上げ、もう片方の手でするりと撫でた。どこか艶めいた動作に、心臓が大きく跳ねた気がした。
「……チカ?」
 思わず彼を呼ぶと、弟は緩やかに唇の端を吊り上げた。本当に、私と一つしか違わないのか。そう思わせるくらい大人びた笑みだった。彼の両手が箱を掴む。


※途中放棄
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リルフェンリードの悪魔憑き

「……きれい」

 リーゼロッテの空色の目を突き刺すような紅。曇り一つないガラスケースの中に鎮座した、それは赤い輝きとしか形容できないものだった。
 思わず彼女の横に佇む男を見上げた。端整な顔にはただただ真剣さばかりが漂い、灰色の目はガラスの向こうで誇らしげに姿を見せた赤い輝きにのみ視線を注いでいる。いつもの癖で掴んでいた男の服を引っ張るには気が引けた。彼がここまで真剣に『宝石』を見つめるその意味を、正確に理解していたからだ。
 レッド・ダイヤモンド。世界広しと言えど、純粋な赤色をしたダイヤモンドなど、数えるほどしか存在しない。その中でも『紅の女王』と呼ばれ称えられているレッドダイヤモンドが、今、リーゼロッテと彼の目の前に存在していた。
 『紅の女王』が女王たる所以は一切濁りのない赤色と、規格外のその大きさである。手のひらに載るほどの大きさで、きわめて緻密に、精巧にカットされたレッドダイヤモンドは、自身を照らす光をこの上なく魅力的に反射する。女王自身もさることながら、女王のカットを手がけた職人もまた、至高の職人だったに違いない。300年以上前に発見され、美しく磨き上げられたレッドダイヤモンドの輝きは、人々の目を惹きつけてやまない。
 空色の目を逸らし、リーゼロッテが見たのは、ガラスケースの内側、隅に追いやられた『紅の女王』のめでたい生まれのことだった。
 --今は無き宝石の都「リルフェンリード」の職人の手によって『紅の女王』はこの世に生を受けた。
 この街より遙か北、一年の半分を雪と氷に覆われた冷たい街。今ではもはや誰も住むものはおらず、吹きすさぶ雪によって埋もれてしまった宝石の都の名。この国の子ども達ならば誰でも知っている、おとぎ話の舞台の街は、しかし、リーゼロッテには言い表すことの出来ない、複雑な心境をもたらす。
 懐かしいのか、寂しいのか、悲しいのか、苦しいのか、愛しいのか。宝石の都の名はおとぎ話のタイトルとなって、子ども達の笑い声と共に溶けて消える。

「……ラグ」

 リルフェンリードの悪魔憑き。宝石の都に現れた悪魔は、瞬く間に街中の宝石を食べ尽くし、街を雪で覆わせたという。
 今度こそ、リーゼロッテは男の名を呼び、その服の裾を強く引いた。


※名前変えたい

ファフロツキーズ


 廃病院というものには、都市伝説がつきものだ。それが、人が近付かないような、いかにもな場所に建てられていればなおさらだろう。もはや車の通った形跡のない道路を登り、手入れされることのない門をくぐり、汚れ、朽ちつつある病院の玄関前に立つ。蝉の音が遠い。
 黒崎の目の前に落ちてきたのは、白い球体だった。

「……25回目」

 もはやつくべきため息も在庫切れだった。黒崎は小さくカウントし、雇い主に持たされたスケジュール帳を開いた。8月1日から数えて25日目の、8月25日、すなわち今日のスペースはまだ空欄だ。だが、そこに書き込む言葉は決まっている。
 じっとりと濡れた手首を緩慢に持ち上げ、時計を見た。黒い文字盤の中、白い針が午後2時07分を指している。
 8月25日、午後2時07分。今日の落下物、眼球1個。安っぽいボールペンで、そう、書き込んだ。

sigと雇い主と秋


 秋は嫌いだ。果実が実り、木々が赤く染まり、澄んだ空が広がる、秋が嫌いだ。盛りを終えた生物たちが静かに死に近づいていく、その季節の残酷さが、嫌いだ。
 sigがきわめて穏やかにそう告げると、心地良さそうなソファーに体を預けた雇い主は柔らかな表情を浮かべた。

「君も知っているだろうが、英語では春はspring、秋はfallと言うだろう。春は跳ねて、秋は落ちる。夏に向けて勢いをつけた命は皆、冬に向けて死んでいくんだ。秋は、果て行く命の行進の、ほんの途中だ」

 落ちていく季節の、寂寞と憂鬱を含んだ空気は肺いっぱいに満ちてsigの体を動かすだろう。枯れる木々や草花の死の香りを胸にsigは生きていく。もしくは、冬に向けて死んでいく命の中にはsigの命も含まれているのかもしれない。やはり秋は嫌いだった。何もかもが暗く沈んでいく季節の夕暮れが、彼の頭の中から離れない。赤い夕暮れの向こう側に消えていったものを思い出しては、泣き出したい衝動に駆られるのだ。
 雇い主はただただ人当たりの良い顔をしている。
「さあ、仕事だ」

出羽と和泉と秋津と復活

目を覚ますと、馬鹿、こと和泉がそこにいた。
 緩慢に瞬きをする。首を動かそうとしたが、どうにもうまく動かない。指先を震わせた。腕も、まるで自分のものではないかのように思った通りに動いてくれない。舌打ちしたくなった。だが、それすらも難しい。そうこうしている間に携帯ゲーム機で遊んでいた和泉が、出羽の起床に気付いてしまった。鋭い目が大きく見開かれ、その顔いっぱいに笑顔が溢れだした。

「あ! 出羽! 起きた!」
「……」
「せんせー! あきつせんせー!」

 うるさい、と言おうとしたが、やはり、声帯はおろか口さえ動かない。どういうことなのか。そもそもここはどこなのか。清潔な匂い。真っ白なシーツ。その上に投げ出されている己の手足の感触が遠い。音をたてて立ち上がった和泉が、椅子を蹴倒す勢いで保健室を出ていった。騒々しい足音が遠ざかる。
 やがて二人分の足音が近づいてきた。

「目を覚ましたか」

 穏やかな低音を聞くのは久々のような気がした。起きたばかりで状況を上手く呑み込めない出羽の中にも、秋津の声はすんなりと入ってくる。彼らの教師の声は安心感を生み出すのだ。大きな手が額に触れ、灰色に染めた前髪を寄せたようだった。

「出羽」

 案ずる響きというよりも、確認する意味を伴った呼びかけだった。動かない頭をなんとか動かし、小さく頷く。秋津の手は温かい。

「しばらく休んでいなさい。まだ、体を動かさないように。……和泉。出羽のそばにいてやりなさい」
「はーい」
「ひとまず日向たちを呼んで来よう。しばらく待っていてくれ」

 それだけ言い残し、白衣を翻した秋津はあっさりと部屋を出ていった。残された和泉は隠していた携帯ゲーム機を取り出すと、大きく欠伸をする。瞼が重い。

「出羽さー、大変だったんだぜ。おまえ、ばらばらになって売られてるんだもん」
「……」
「俺はスーパーでお前の頭みっけてー、先輩たちもスーパーで胴体みっけてー、手は紀伊と信濃が自販機で買ってきたらしいぜ。んで足はホームセンターのペットコーナー! しかも秋津先生! 先生、なんでペットコーナー行ったんだろな。ペット欲しかったんかな」

 知るかアホ。いつものように罵ろうにも声は出ない。さらに言えば、体が睡眠を欲している。まだ動いてはいけないと体のすべてが活動を拒否している。

「あ、出羽、あとで398円返せよ。お前の頭買ったの俺なんだから」

 スーパーに置かれていたという己の頭を想像し、さらにそれに値札がついていたらしいという事実を知り、笑っていいのか怒っていいのかよく分からない気分に陥った。和泉はいたって真剣な表情をしている。そうだよな、お小遣い、大切だもんな。思わず幼子を宥めるような言葉が口から出そうになったが、結局出ることはなかった。